うわの空日記

できれば毎朝起きたくない

友達がほしい

新しい友達がほしい、つくってやる、新しい場所で居場所をつくるんだ、

働きはじめてしばらく経つが、就職当初立てた目標がいまいち達成できていない。学生時代の友人が比較的近くにたくさん住んでいるので、順番に彼等彼女等に会っていったら休みは順調に消化できてしまう。よろしくない。

 

友達を作るのが苦手だった。苦手という域ではなく、まったく作りかたがわからなかった。作るものだ、というのを理解したのも比較的最近、なんならここ数年な気がする。

子供の頃は進学が節目になって、人は友達の作りかたを覚えるのだと思う。中学・高校とメンバーに入れ替わりが比較的少ないところに通っていたので、わたしはそこで学ぶ機会を逸している。大学はさすがにメンバーががらっと変わったが、一年の最初のクラスに高校の同級生がいたので、その子におんぶにだっこでコミュニティにとけこませてもらった。最初のひとりがなんとかなれば、残りの子たちともまあまあ上手くやっていけた。

 

習い事、塾、予備校、それなりに学校以外で人と出会う機会はあったはずなのだけど、そのすべてでわたしは友達づくりに失敗している。ここは泳ぐところ、ここは筆で字を書くところ、ここは勉強するところ、と、そこへ行く目的への割り切りが異常にはっきりしていて、ここは友達をつくるところ、という発想に一切至らなかった。困ったことに、楽しそうな友達同士のグループに入れなくても、あの子たちはもとから友達なんだから仕方ない、で割り切れてしまって、ひとりでいるのはまったく辛くも惨めでもなかった。羨ましくもないかわりにそこまでひとりを楽しめる訳でもなく、こういうものなんだろうと思って粛々とわたしはひとり色んなところへ通っていった。そんなだったから、数ヶ月前は全然接点のなかった二人が隣に並んで楽しそうに喋っているのを見かけたりすると不思議に思ったものであった。前世からの縁でもあんのかな…と本気で思っていた(中学一年生だったので…)。

たまに話しかけてくれる子も現れたが、暇なのかな…と思って答えはするものの、それ以上自分から話しかけにいくこともしなかった。もったいないことをした。無知はこわい。  友達は勝手にできるものじゃなく、自分で話しかけて相手を気にかけて、やっとできるものなのだとちゃんと理解できたのは、知っている人が誰もいない足がかりゼロの就職以後だったように思う。

 

 

 

今となってはそもそも知らない人に会うこと自体が難しくなっている。なるほど大人になるのは不便だ。幾度の失敗(挑戦してないから、失敗ですらないのかもしれない)のあとにようやくどうしたらいいかが分かってきたのに、ままならないものだ。

 

さて友達づくりやるぞ、となってから具体的な方策をしばらく考えた結果、喫茶店やバーにひとりで行って、マスターに話しかけることから始めることにした。習い事なんかも考えたが特にやりたいことがなかったのと、また無駄なストイックさを発揮して当初の目的が達成されなさそうなのでやめた。この土日に喫茶店二軒に行き、ミッション×2に成功した。どちらも常連さんとマスターの会話に参加したい…と横でタイミングを計り続けた挙句、常連さんが帰るまで一言も発せなかったのが心のこり。でも、まずマスターと仲良くなって、そこから常連さんとも話すようになり、そっからさらになんか色々上手いこといって友達ができる予定なので、まあひとまず一歩前進なのである。迂遠な計画すぎる気もする。もっと手っ取り早い方法がある気もする。

 

友達できない人間としての人生があまりに長かったのであまり高望みはせず、まず決まったシチュエーションとはいえ人に話しかけられるようになることで、どこかで上手く歯車が回りだすことを期待したい。絶対にやってやる。不似合いに鼻息荒く覚悟だけ決めて、週末を待つ。

 

 

 

 

花火、いまさらのサザン

一昨日は少し足を延ばして逗子の花火大会をみにいった。

鎌倉の隣駅で葉山の手前という立地だからか、それぞれの街と似たおしゃれなところがあるけれど、ほどよく人が少なくほどよく地に足のついた空気がとても好きで、逗子にはよく行く。おいしいお店や楽しいイベントもたくさんある、開拓しがいのある楽しいまちです。この花火大会も、他のどこより逗子のが良い!と、おいしいお店のきれいなお姉さんに力説されたのを覚えていてずっと楽しみにしていた。

 

朝から降っていた雨も夕方には上がったけれど、それでも時おり細かい水滴がぱらついていた。おざなりにコンビニのビニール袋を敷いて座った砂浜はしっとり濡れていた。でもそんなことも、スパークリングワインをラッパ飲みしながら焼き鳥やら焼きそばやらを食べまくっていたらすぐに気にならなくなった。お祭りらしく海岸へ向かう道には露店がたくさん出ていたのだけれど、ザ・お祭りみたいな店は少なく近隣のおしゃれな飲食店が出すしている店がほとんどで、食べ物のレベルはめちゃくちゃ高かった。

 

大して花火大会というものに行ったことがないのだけれど、これまで見てきた花火はなんの前触れもなくひゅるりと最初の一発が上がり、徐々に盛り上がって、最後はドカドカあちらこちらから景気良く上がった後はまた前触れなくふと終わる、というのがほとんどだったように思う。特にお知らせもないから終わりのタイミングが図りづらく、もう終わりかな帰ろうかなというところにまた思い出したようにひゅるひゅると新しいのが上がり始め、あ、まだだった、とか言いながら腰を下ろす、みたいなはっきりしない幕切れ。わたしと関係のないところで勝手に打ち上がり、勝手に終わっていくものを横から傍観するというのが、これまでの打上げ花火のイメージだった。

 

それでいくと昨日の花火はショーみたいにきちんと三部構成のプログラムが組んであって、アナウンスとともに始まり音楽に乗せて花火が打ち上がり、アナウンスとともにきちんと終わりが示されるのが新鮮だった。一区切りごとに見ている人が一斉に拍手をするのも初めて見た。

はじめは面食らったけれど、このショーみたいな花火も、観客の「わたし」が構成要素に入っている感じがしてとても楽しい。

 

 

クライマックスではサザンオールスターズTSUNAMIが流れ、色とりどりの花火があちらこちらからいくつも昇った。湘南の海に夏のはじめの花火、そしてサザンの組み合せは、ほとんどサザンについて知識のないわたしにもぐっときてしまって困った。実はTSUNAMIもろくに聞いたことがなくて、イントロの時点でこれ誰?とか声に出して言っていたくらいなのだけれども、あのあまりに有名なサビに差し掛かる頃にはそんなものはなかったはずの「あの夏」の思い出が呼び起こされてオーケー、日本の夏、了解、と思わされてしまった。見つめ合うと素直におしゃべりできなかったよなあ、とか、存在しないあの夏が、確かに、あったような気がしたんですよ。花火を見ると、これまで過去に見た花火の思い出が次々呼び起こされるけれど、ありえなかった夏すら、あるような気がしてくるから恐ろしい。

曲のテンポは御構い無しに破裂する花火のあの音が腹に響いて、これから夏が始まるねえ、と思った。

 

祭りの後にはしゃぐ人たちがそこここに集まっている通りを、足早に抜けながら、現実に戻るのはあっけなくて怖いなあと思った。関東はこれからまだいくらも花火がある。今年はなるべくたくさんの花火を見て、いくつもの夏を思い出そうとおもう。

 

水の匂い

洗濯物をほしたあとの水の匂いがたまらなく好きなんだけれども、これは一体なんの匂いなんだろう。

洗剤とか柔軟剤の匂いじゃなくて、ただ水の匂い、としか言いようのないあれ。水道水をコップに汲んでもあまり感じない。

 

好きな匂いとはいえ、かわいい女の子からでもかっこいい男の子からでも、まあとにかく人間から漂ってきても特に好ましくは思わないだろうな、という類の匂い。結局ほしたばかりの洗濯物がいちばん似合う。じゃあこれは、この時だけのささやかなご褒美なのかもしれない。そんなことを考えながら、ひととおり家事を終えた夜の部屋に横たわって、雨の予報に備えて部屋干しした洗濯物の匂いを嗅いでいる。

オフィスビルの怪物

GWに高松に旅行に行き、そこで買ったチャイを淹れて飲む。熱い飲み物はそろそろ厳しいかもしれない。夏が近いから。

 

せっかくなのでなにかいいこと書きたいと、アプリを立ち上げては少し書いてやめ、また立ち上げては書いてやめ、を繰り返してる。これが続くとまたやらなくなっちゃうんだよな、と思うので、なにかしら書いておこうと思います。

 

今日は退勤後にパスポートを取りに行った。出張で必要なのです。受取と申請を別の場所でお願いしているので、今日は改めてパスポートセンターの場所を地図で調べて出かけた。

 

大きなオフィスビルの二階に、そのパスポートセンターは入っていた。ビルの一階は大きな吹き抜けになっていて、その底にはものすごく大きな水盤がある。向こう側に知り合いが立っていてもうまく認識できないくらい大きな。

底の中心に向かって緩やかなすり鉢状の傾斜がついていて、中心からは控えめな噴水のように間欠的に水が吹き出しては水面を揺らす。普通の噴水は周囲が一段高くなって水面が囲ってあり、エッジがはっきりしているから、波打つ水面とわたしが立っているこちら側は明確に違う場所なんだけれども、ここはそうではなく、床の傾斜はふと終わって何事もなくわたしたちが歩く平面に続いていた。だから、水際は足元でゆらゆらと勝手に行ったり来たりしている。

水盤の周りはいくつもベンチが置いてあって、仕事を終えた人たちがたくさん座っていた。水を見ている人もいれば、そうではない人もいた。なにげない仕事終わりの一コマなのだろうけど、異様なものと馴染んだ人たちの姿はやっぱりすこし不思議に見えた。

 

ビルに入る前、エントランスに辿り着くまでガラス張りの外周に沿って歩きながら、見るともなしに中の様子を見ていたのだけれど、もう暗くなり始める時間とはいえまだ外は明るく、建物内の様子はうかがい知れず、水盤の存在にも気づかなかった。ただ、ガラスには歩く自分の姿がうつっていた。ガラスの中のわたしの足元には、いま歩いているブロック貼りの地面が映っているはずだった。その足元に目をやると、幾何学的に整然と並んでいるはずのブロックが、うにょうにょと重たい海藻みたいに蠢いていた。

 

そんなバカなと思って、しばらく足元から目を離せずにいた。そのうちエントランスに着いて中に入り、その怪物の正体がガラス越しに見た水盤の揺れる水面だということを知る。すこし背筋が冷たくなった感覚はすぐに引いたけど、今度は別の感動に捉われて、パスポートを受け取るのも上の空だった。

 

ひょっとしたら有名な場所なのかもしれないし、どんな場所でも人は慣れてしまうんだろう。でも、あんな静かな怪物のはるか上空ではたらく人のことを思うと、やっぱり羨ましいなあ、と思いながら帰ってきた。

しんどいぞ

昨日体調がダメだったのでまあ今日もわりとダメだろうとは思ってた。けど予想以上にダメなので通勤電車でぐんにゃりしてる。

 

遅れを取り戻すための頭がまだ動かない状態でとりあえず行く。本調子になったらきっと大丈夫だと自分に言い聞かせること、今日はまだ本調子じゃないから無理はしないこと、無理はできない状態だということを周りに理解してもらうこと、をやらなくちゃなあ。

 

どうにもならなかった昨日の体調を、いまさらくやしがってもしょうがないんだけど、やっぱりまだ甘えだったのでは…と思ってしまう。ああ、嫌いな言葉のはずなのに使ってしまう、甘え。

 

もうすぐ電車が着く。どうにかなる、と思う。

はじめまして

ナガイです。

インターネットで本名から遠い名前を名乗ったことがないので、違和感があります。そーゆー名前の人なのか、と自分が新鮮に思っている。

 

なるべく自分で自分の好きなことやら最近あったこと、それに対してどう思ったかを喋れるようになる、ことを目的にブログをやります。

 

人間二十何年めにして、どうしても自分のことを喋るのが苦手です。なんか相手が興味がある、ウケると分かってることしか喋れない。と言うとウケる話ばっかりする面白いやつみたいですが、そんなこともないので単なるあまり喋らないやつです。

 

趣味の話とか、近況とか、相手はそんなに興味ないだろうからしない、という今の姿勢は、結局あんまり自分が他人に興味がないからだろうな…と薄々気づきました。どーもこのままでは色々手詰まり感があるので、今後は興味がある人にたどり着くまで、もしくは興味がない人に興味を持ってもらえるまで頑張って喋るぞ!練習だ!オラ!という気合でもってこのブログを始めます。

 

ブログ開設なんて大したことじゃないかもしれませんが、新しいことを始めるのが苦手なのでそれなりにドキドキしています。なんかいいこと起きればいいなあ、とか思います。